見えているのに分からない、再生医療で視力を回復しても見たものを理解できない
医学や生物学の実験では言うまでもなく再現可能かが問われるが、1回きりの経験を重視する伝統も持っている。特に精神医学や神経学では症例報告のウエートが高い。脳のような複雑で個別の要素が高いシステムでは、統計的手法を当てはめることが難しい1回きりの現象が存在し、その追求から限界はあっても普遍的な原理や法則に迫ることが可能だからだ。
例えば精神的な病気なら、この伝統はフロイトの膨大な症例報告に残っているし、神経学でも例えばダマシオの「デカルトの間違い」などには、脳障害で性格が一変した症例などが一般の方にもわかるよう紹介されている。
50歳近くに再生医療で視力回復
今回紹介するワシントン大学からの論文も同じようにそう繰り返して経験することのできない症例報告で、精神分野の国際誌、サイコロジカル・サイエンス誌4月号に掲載された。タイトルは「視覚回復後10年以上経っても経験による可塑性(かそせい)は欠損している(A lack of experience-dependent plasticity after more than a decade of recovered sight.)」だ。この症例は3歳半に事故で化学薬品を浴び、左目は完全に失われ右目は角膜障害を受け失明状態に陥る。46歳まで光は感じるがほぼ完全な視覚障害として生活してきた後、右目の角膜を幹細胞移植で再生する治療を受け、視覚を回復する。視覚が急に回復した時、経験による脳内での統合が必要な複雑な視覚認識はどこまで回復するのかが問われた。手術後2年目の検査で、光や色の感覚、また単純な形態の認識はほぼ完全に回復しているが、表情を始め3次元画像など経験を必要とする視覚認識は全く回復していなかった。視覚が回復しても触覚や聴覚に頼らざるを得ないことが明らかになっていた。さらに10年経過して、この状態が改善したかどうかを調べたのが今回の研究だ。
認識する能力は回復せず
結論を先に言うと、全く回復しないという結果だ。実際行われたテストで言うと、いすの写真を見せていすと認識することができない。男か女か、あるいは怒っているのか喜んでいるのか、感情を理解するのも画面だけだとうまく判断できない。2次元画像の形であればある程度認識できるが、3次元画像になると単純な形の認識も難しい。全くランダムに答えるよりは正解率は高く、ある程度の認識が可能なことも確かではある。しかし、50歳近くで視覚が回復して10年たっても、それまでの50年の経験を通して積み重ねた脳内ネットワークを再構築することはできていないという結果だ。
脳のネットワークは発達し直さない
このことをより客観的に確かめる意味で、MRIで脳活動を調べている。詳細は省くが、顔の認識、人間の体の認識、景色の認識などの課題に対して反応は強く低下している。結局、見えるということと認識するということが全く別物。3歳半までに獲得した脳内ネットワークはそのまま発達することなく止まってしまっていると分かる。何歳まで経過すれば完全になるのか?同じような症例で、事故が起こった年齢が異なる症例が集まれば、統計学的処理ができなくとも多くのことが分かるだろう。その意味で眼科領域の再生医学が神経科学にも大きな貢献を果たすのではと期待できる。
文献情報
Huber E et al. A lack of experience-dependent plasticity after more than a decade of recovered sight. Psychol Sci. 2015;26:393-401.
Psychol Sci. 2015 Apr;26(4):393-401. doi: 10.1177/0956797614563957. Epub 2015 Mar 3. Research Support, N.I.H., Extramural